氏名 | 鈴木雅己(すずき まさき) |
経験年数 | 21年 |
血液型 | B型 |
職種 | 足場・塗装職人 |
コメント | お客様の対応には労力を惜しみません。 |
◆この仕事を始めたきっかけをおしえてください。
この仕事を始めたきっかけは昔から物作りが好きで、10代の時からバイクのエンジンの載せ替えや塗装をしていました。
高校のバイトでは友達が塗装職人をしていて、学生の頃から塗装をしていました。
そしてそれから20年以上経ち、物作りから始まった職業が今は三重県全域で津市、鈴鹿市、松阪市を中心とした皆さんの安心した暮らしを支える仕事になっています!
自己紹介
ある日、病院に家族が呼ばれたそうで、テレビでよくある『今晩が山です。』と言われ、母は初めて父が泣いたところを見たそうです。
奇跡みたいですけど、翌朝から病気がどんどん治っていき、先生も『すごい生命力としか言えません。』と言っていたそうです。
こんな事があり兄弟で一番可愛がられて育ててもらいました。
小学校では、スポーツ少年団に入りソフトボールの練習を毎日、ひとつ上の兄貴と遊びながらしていた記憶が印象的に残っています。
田舎なので、山や川しか遊ぶところがないので、泥だらけになって家に帰り、庭のホースで体を洗ってからしか家に、はいれませんでした。
中学校では、野球部に入り、休みの日は、地元の池でバス釣りをしながら3年間過ごしました。
手先が器用なので自分でルアーなどを作っていました。
このころ真剣にバスプロになりたいと思っていました。
高校では初めの一か月はまじめに学校を行っていたのですが、どんどん行かなくなり学校に行っても授業中寝ていた記憶しかありません。
そんな中いつものように友達と遊んでいると担任の先生と親が、いきなりやって来て学校に連れてかれました。
僕は学校を辞めると言いましたが、何時間も説得されました。この時の担任先生には感謝しています。この先生のおかげで無事卒業出来ました。
自分のやりたい仕事というのはなく、とりあえず体を動かす仕事が良かったので高校の先生の紹介で土木の仕事を紹介してもらい働くことになりました。
学生気分の抜けないまま社会人になり遅刻や欠勤も多かったと思います。
今思うと会社に非常に迷惑をかけていました。そんな中途半端な気持ちで長続きするはずもなく、初めての会社を辞めました。
友達の紹介でペンキ屋さんにアルバイトに行ったとき『お前は手先が器用やですぐ仕事覚えるぞ』と言われうれしかったのを覚えています。
それから仕事が楽しくなり、真剣に仕事をするようになりました。どんどん仕事を覚え、現場を一人で任されるようにになり責任感も出てきました。
仕事が終わってからも明日の仕事はどんな段取りで進めていこうとか、どうやったら早くきれい塗れるかなど、自然と考えていました。
22歳の時に子供が授かり結婚しました。嫁の両親から、天候で左右される仕事よりも会社員のほうが安定するからと言われ、工場で働きだしました。
自分の中ではやりたくない仕事でしたが家族のために頑張ると思っていましたが、やっぱり職人のやりがいを忘れられず、家族に相談しました。嫁も両親も納得してくれ職人にもどることにしました。
求人広告に住宅下請け業者募集の広告を見つけ、早速電話して話を聞きに行きました。
いっぱい仕事があるからすぐにでもということで、独立する事になり、トラックだけ買って、あとの足場資材などはレンタルし、お金がたまったら買うことにしました。
下請け業者ということで、いっぱい、いろんな苦労がありましたが、その中でも、住宅1件の単価が安かったですが、「手抜き工事はしたくない!」自信を持って引き渡せる仕事をするために作業時間を延長し朝から晩まで働くが…。
自分の手元に残るお金では、生活できませんでした。この時は家族に迷惑ばかりかけていました。
(株)久保組の社長(今のリペイント匠の代表親方)とは中学校からの付き合いで、10代の頃はよく遊んでいましたし、22歳の久保社長が独立してからも何度も『一緒に働かへん?』と誘われましたが、その時は、独立もしていましたし、同級生という事もあり中々、プライドが邪魔をして誘いにのる事は出来ませんでした。
そして数年経ったある日、代表親方から(株)久保組で、
『塗装事業部を作って、職人の俺らが直接お客様に仕事を提供したいで一緒に働かへん?』
と話がありました。
僕は、この業界では大手の下請けとして仕事をもらう。
手抜き工事は当たり前。
そんな硬い頭をもっていたので、衝撃を受けました。
すごく自分が情けなく思いました。
同級生で、昔はよく遊んでいたのに、いつの間にか、すごい差が出来ていました。
やっぱり最初は友達なので、変なプライドがあり断っていましたが、何度も話していくうちに代表親方の一生懸命さが伝わり、(株)久保組で塗装業界を変える決意をしました。
そして数年経った時に社長が㈱久保組では、下請け仕事の依頼も多く、
『下請け工事メインで動くと一般のお客様にご迷惑がかかるので、引退する』
と言って僕に
「㈱久保組の社長をするか?」
と聞かれましたが、僕も理想の仕事・会社を目指したかったので、現在の㈱リペイント匠を社長と一緒に設立し頑張っています。
リペイント匠を創立した当初は全然、仕事もなく、社長は当時から『地域貢献や!』と言っていましたが、その時の僕の理解としては、ボランティアと聞くと聞こえは良いですが、仕事も少なかったので、その期間にボランティアをしているんだな~という理解でした。
ですが、今では、仕事も順調に切れないようになり、その忙しい中でボランティア塗装をしている内に「地域の人に塗装の依頼を受け取るんやで、地域に尽くして当たり前やな~」と思うようになりました。
下請け根性といいますか、下請け業者を長い間していると、
お客様のためとかいうよりも、
「どれだけ早く仕事が終わったか?どの塗料が安いか?どれだけ元請け業者と付き合いするか?」
とか考え方がおかしくなっている事に
リペイント匠を創立してから気づき、思うようになりました。
社長にいつも言われる事ですが、やはり大事な事は、上記のような自己満足的な事でなく、お客様の視点にたち
『自分の家ならどこまで綺麗に丁寧に塗装するか?』
という事が一番大事なことだと思いました。
ですから、リペイント匠で働き出してからは現場に行くと、お金の事は社長に任せ、僕はトコトン丁寧に工事をして計算はしないようにしています。笑
自画自賛ですが、そしてお客様満足度がすごく高い理由は、そんな社長の考え方や姿勢を、職人1人ひとりが見て、怒られて、毎日楽しく仕事しながら育てているので、比較的若い職人でも自慢出来るほど、すごくお客様満足度が高いのだと思います。